取出涼子 医療ソーシャルワーカーdiary

取出涼子です。私が先輩や先達から、そして部下や後輩から教わってきたソーシャルワークに関することを発信します。

「ポジショニング①」;ソーシャルワーカーとしてやりがいをもって医療機関で働くために必要なこと

福祉系大学を卒業し、透析施設での業務開始をしてから半年くらいは、なにをどうしたらよいのかわからず、泣いてばかりいました。本当に泣いていました。それは、透析患者さん(以下、透析者)が通う通院の透析クリニックのソーシャルワーカーとしてなにを業務とするのか、「ポジショニング」が全くできていなかったからです。

私は、ポジショニングという言葉を、対人援助トレーナーで元医療ソーシャルワーカーの奥川幸子さんに教えていただきました。ソーシャルワークのかなりのことを奥川幸子さんから教えていただいたことは、私のソーシャルワーカー人生の中心となっていますし光栄なことでした。この話はまた別の機会にたくさん綴りたいと思います。

普通はサッカーや野球などのチームプレイをするスポーツでよく使われる「ポジショニング」。例えば野球なら、右バッターか左バッターか、強腕か器用に充ててくるタイプか、味方のピッチャーの能力、味方のキャッチャーが出しているサイン、味方メンバーの能力、試合状況、過去の経験、などなどから、などから、後ろの方に位置をづらしたり、さっと別の味方のフォローにはいったり、フィールドにおける自分の位置を決めていくことです。

働く場において、医師はとにかく診察を、理学療法士はとにかく個別の理学療法を実施することに着手すれば道が開けていくのに比べ、ソーシャルワーカーは、その場に合わせて業務を創設していくことが求められます。

私が新卒で、急性期病院での数か月の実習体験しかない中で、透析施設のソーシャルワーカーとしてポジショニングをするために身についていなかったこと。それは、
透析医療の実際、透析者がどのような心理・社会的な生活をしてきていてい、透析導入までにどのような経験をしてきているか、透析クリニックのさまざまな職員の専門性や考え方、クリニックの院長の意向(どのような医療を展開したいのか、ソーシャルワーカーには何を期待しているのか)、透析者とその家族のノーマティブニーズ・・・
各種社会資源・・・とにかくすべてでした。
そして、決定的だったのは、ポジショニングをしてから業務を展開していけばよいのだ、ということそのものをわかっていず、手あたり次第、なんとなく自分のイメージにあうソーシャルワーカーっぽい仕事を早く始めなければ、と焦っていたこと、です。

途中で、私は、透析者が「相談をしたいわけではない」のに、私は相談があるはずだと思って接しているのかもしれない、と気がつきました。
そして、「私は、まだ透析者の身体・心理・社会的状況を何も知らない。だから、まず、透析者の春夏秋冬を知ろう」と決めました。
つまり、透析者から透析者のことを教えていただこう、と思ったのです。

これは、奥川幸子さんのもとであらためて臨床実践ソーシャルワークを学びながら、私なりに直観的に考えた「ポジショニング」のための一つの方法だった、と思います。

ひとつだけ、印象的なエピソードを取り上げると、
当時、4~50代になる女性がいらっしゃいました。すでに人工透析は10年以上されているベテランでした。透析中、文庫本をお読みになっていたので、「何を読んでいらっしゃるんですか?」と話しかけると、本を見せてくださったりしたうえで、「最近、人の享年に興味があるのよ‥‥」というようなことを小さな声でおしえてくださいました。
ああ・・・・透析者は、意図的に果物をたくさん食べすぎたり、透析を拒否してしばらくすれば、確実に死を迎える状態にいます。災害が起きてもすぐに命にかかわります。
そして当時は、透析はまだ日本に導入されて20年程度でした。その方は、いつも死と隣り合わせ、という気持ちを持ちながら生きていらっしゃるんだ・・・この若さで亡くなった人はどんな気持ちでいたのか、どんな人生を送ったのか、を知りたくなり、深いところでは、自分はどんな気持ちでいて、どんな人生を送ったことになるのか、を哲学されているんだ・・・・このエピソードは、今でもその場面も映像で浮かび上がります。
私の中で少しずつ、透析施設でのポジショニングができていった一場面です。
※ブログに登場する個人の状況や場面は、実名を使わせていただいた方以外は複数の状況を組み合わせたもので、どなたかを特定するものではありません。ご了承ください。