取出涼子 医療ソーシャルワーカーdiary

取出涼子です。私が先輩や先達から、そして部下や後輩から教わってきたソーシャルワークに関することを発信します。

ブログ再開のご挨拶と「ポジショニング③」:勤めている職場の期待に応えることについて

3年、間をあけてしまいましたが、匿名に切り替えてブログを再開することにいたしました。
書きかけていた3つ目の「ポジショニングについて③」をここに記したら、今後は、架空の事例を通して、私が考えるソーシャルワークについて、お伝えしていきたい、と思っています。

 唐突ですが、私は、自分のことを、ずっと「月タイプ」と自覚して仕事をしてきました。
もう一つのタイプは「太陽タイプ」です。太陽は自分の力で輝く。月タイプは、太陽の光を受けてはじめて輝く。
 本日の内容は、賛否があるかもしれませんが、私が実践するときに割と悩んだりしてきたことなので、もしかしたら同じことで悩む人もいるかもしれず、思い切って書いてみます。
 私は、病院という組織に守られてずっと仕事をしてきました。そして、私は自分がそれに(守られることに)向いている人種だ、と感じてきました。
 自分で組織を作って自分で切り開くこと、は少々苦手です。だれかがやってきたことをまねながら、改良していくこととか、付加価値を上乗せすること、などは比較的得意なのではないか、と思います。そんな自分を、猿タイプ、とか月タイプだな、と思っています。
 病院で働いていると、ソーシャルワーカーらしくない動きを求められることがあり、反発してきたりもしました。でも、病院という組織があったからこそ、私はソーシャルワーカーとしてたくさんのクライエントにお会いでき、多少でも役に立つ仕事ができた、ということについて、病院及び病院を経営している方々に感謝をしています。
 私が透析施設で、役に立たず、給与をもらうことにも届かない自分と独り相撲を取っていたころ、同年代のソーシャルワーカーが初めてソーシャルワーカーを置く病院に就職しました。その人は、病院の中でかわいがられ、地位をどんどん築いていっているように見えました。その人に、「すごいね~」と感想を述べると、「これまで病院にソーシャルワーカーがいなかったんだから、何人かは、病院としてはどうしたらいいか困っている入院患者さんはいるわけだから、そのような患者さんの転院先を探したりしていると、ああ、ソーシャルワーカーって役に立つな、と思ってもらえたりするんですよ。」と。私からすれば、転院先をさがすことだって大変だと思いましたが、その方のすごいところは、そのことは序の口だと、本番はこれからだ、というのです。勤めている以上、その組織の期待には応える。でもそれだけでは終わらない。期待に応えて信頼を得て、そこではじめて、本当のソーシャルワークを展開していくんだ、ということだろうと思いました。やっぱりすごい人でした。
 ちなみに、奥川さんもすごい方です。自分が行っている仕事について、かならず上司であるソーシャルワーカーではない、他職種である事務長さんに報告し、了解を得ながらやっている、とおっしゃっていました。 そして、いつも自分の上司はこういうところがすごい人なのよ、と、よいところを私にも話してくださっていました。
私は、「奥川さんはうらやましいな、素晴らしいチームに恵まれているんだな」と最初は思っていました。でも、すこしずつ、そうではないのではないか、と気が付くようになりました。奥川さんは、周囲の多職種の良いところを見出し、良い人にしていくんだろう、ということに。私は、組織や上司への報告・相談はあまり得意ではなく、上手でもありません。でも、組織で働き、さまざまなハード面の提供を受け、そこでまっとうなソーシャルワークをしたいと思ったら、はじめは組織の役に立ち、信頼を得て、そこから本当にやることを展開していく、というのも、人と環境とその交互作用だな・・・・と考えられるようにだけはなりました。でも、ちょっと不得手なので、同僚や部下の協力を非常に必要としています。
 チームに私の意見が受け入れられずに不満を持つ私は、奥川さんに、「ソーシャルワーカーの意見がいつもチームの方針にうけいれられるわけではない、ということはわかっているよね!?」とSVを受けたことがあり、はっとさせられたこともあります。いつも自分が一番正しい、というのは正しくない。これは、かつて、「読むクスリ」という上前淳一郎さんの本でも、相手に逃げ道を作らないような正しすぎる正しさは正しくなくないのだ、という主旨の文章を読んで、ずっと胸に刻んで生きてきています。どんなないようだったかというと、ある正義感あふれる社員が、上司から、円を見せられ、君の正しさはこの円のように切れ目がない、それでは人は動かない。どこかに切れ目を入れられるようになりなさい(目の検診のCのように)、と声をかけられた、という話です。
たまたま同じころ、夫によいことだと思って正しさをおしつけつづけたら、その押し付けた正しさが夫からの暴力で返ってきて、夫は家を出ていった、という漫画を読みました。この二つの読み物から、私は、正しいって何か、正しいって難しい、と思うようになりました。人間の営みの中では、いかにグレーを受け入れるか、も大事なのかな?など・・・・。
 そんなことから、医療の場で働くソーシャルワーカーは、クライエントや地域に対してソーシャルワークをする、ということと同時に、職場を社会福祉的な環境にしていく、という職務もあるんだろうな、と思ってやっています。
 私は、月タイプであったために、自分から切り開くことはできませんが、私を照らして私の良さを引き出してくださる周囲に感謝しながら、
グレーにも多少は耐えながらやってこれて今がある、と思います。