取出涼子 医療ソーシャルワーカーdiary

取出涼子です。私が先輩や先達から、そして部下や後輩から教わってきたソーシャルワークに関することを発信します。

専門性の公言と「バレーボールの線審」体験について

事例を通したいろいろな発信をする、と公言しておきながら、
その前に、専門性の公言についての私の考えと、私が経験した「バレーボールの線審」体験について、書き留めておこうと思います。

私は、大学時代に、松本栄二先生に「Professionというのは、professする人、という意味である。professというのは、もともと、神に向かって公言する、という意味であるから、専門家というのは、自分はこれをすることが専門です、ということを、神に向かって、クライエントや社会に向かって公言する人のことなのです」と教わりました。
私にとって、とても印象深く、大切にしている教えです。時々自分のソーシャルワーカー対象の講義などでも使わせてもらっています。松本栄二先生には本当に感謝をしています。哲学的にソーシャルワークを教えていただきました。(学生時代は松本栄二先生のおっしゃることが理解できず、このように断片だけを覚えているわけですが・・・)
最近、他の領域の講師が松本栄二先生と同じことを言っているのを聴く機会が増えました。松本栄二先生がオリジナル、と信じています・・・・・?なにしろ、40年ほど前に教えていただいたことだから・・・。クリスチャンでいらっしゃいましたし。

それはさておき、それでは、ソーシャルワーカーとしては、何を公言しているか。
私が新人の頃の患者さま向けのソーシャルワーカーリーフレットには、「こういう時ご相談ください…」とは書いてありますが、「ソーシャルワーカーはこれをします!」と公言している内容はあまり書いてありませんでしたので、実はちょっと不満でした。
26歳くらいの頃、上司にさそっていただいて、アメリカにソーシャルワークを学ぶ旅行兼研修に行く機会に恵まれました。急性期病院やリハビリの病院や施設などの現場のソーシャルワーカーにお話を聴く機会がたくさんあって、とてもとてもすばらしい旅でした。アメリカのオレゴン州の病院のソーシャルワーカーのみなさまは口をそろえて「病院のソーシャルワーカーは、①counselling,②referral,③discharge planningを行っています」と説明してくれました。病院の機能は違えども、患者さまのもつ問題に対して、この3つをソーシャルワークとしてやります、と公言している!感動しました。
日本では、「カウンセリング」という言葉はカウンセラーの行う面接、ととられてしまいますので、これは相談面接、と日本風に訳し、「リファーラル」は専門機関等への紹介、というような意味だと解釈したのですが、関係機関や専門領域のかたがた、院内のいろいろな部門との連携・調整、と受け止めました。そして、病院のソーシャルワーカーとしてまさに毎日行う退院計画(退院援助)、アメリカの病院のソーシャルワーカーの業務の中心はこの3つなんだ・・・・私も同じだな、と当時も思いました。これをちゃんと患者さんやご家族に伝えてからソーシャルワークの契約をしたい!そこで、上司に相談して、ソーシャルワーカーのパンフレットを作り直す際に、こういう相談があるときに、私たちはこの3つをやります、と公言する形でパンフレットを作らせていただくことができました。私の公言のひとつ、です。

さらに、専門性を公言する、ということを考えるときに、なぜかいつも思い出す小学校時代の思い出があります。
球技大会がありました。私は、あるバレーボールの試合の線審を務めていました。そこに、5人ぐらいの女子のグループがやってきて、私が線審している近くに陣取り、「いまのはセーフ」「今のはアウト!」と勝手に大きな声で線審を始めました。俗にいう力の強い女子のいるグループだったこともあり、私は、線審をする気力を削がれ、必要がなくなったと感じ、ちょっと嫌な気持ちになりながら、試合に集中しなくなってしまいました(なんて責任感がない!)
ところが、突然、審判から、「線審、今のボールはどっち?」と質問が飛んできました。あわてて振り返ると、その女子のグループはあんなに騒々しく陣取っていたのにいなくなっていて、私はそのボールの行方を見ていませんでした。線審として失格でした。結局、その試合を観戦していた他の生徒が判断をしてくれましたが、本当に恥ずかしい小学生時代の思い出です。その女子グループがしてくれている線審を、本物の線審として見守っているべきだった・・・・よそ見をしてはいけなかった・・・・チームのみなさんに悪いことをしました。かなり反省しその後、試合終了までとても居心地悪い状態で線審を続けたことを今でも覚えています。
そして考えました。どんなに別の人が来て線審まがいのことをしたとしても、線審は私であり、私は仕事をしなかった。逆に、女子グループは、線審のような声をあげてもそこに責任はなく、その場を去ることは自由でした。

ソーシャルワーカーになってから、この思い出がよく頭に浮かびます。他の職種の方が、ソーシャルワーカーが対応するとよかろう問題に対して、知識が豊富であって患者に対応をしてくださっていたとしても、もし、私がそのクライエントとソーシャルワーカーとしてその問題を解決する、ということを公言したのだとしたら、他の職種は途中でその問題の解決援助から去るかもしれませんが、私は去らない。社会福祉領域のニーズについての対応は他の職種の方がかかわることはもちろんあり(自由)で、責任がある、と考えてかかわっていればそれは尊重し、でも、そのことと私の専門家としての責任は別のこととして私は負っている、と考える。もし任せるのであればちゃんと役割分担を話し合ってから託す。常に自分の専門性は何か、を考え、公言しているか、公言したのなら、そのことは自分の責任領域だと意識していく、こんなことをバレーボールの線審の思い出と共に考え続けてきました。

ちょっとやりすぎちゃったり、自分の首を絞めて苦しいときもあるんですけどね・・・。