取出涼子 医療ソーシャルワーカーdiary

取出涼子です。私が先輩や先達から、そして部下や後輩から教わってきたソーシャルワークに関することを発信します。

2020.12.6 ソーシャルワーク援助プロセスを大切にすると援助が整う

 ソーシャルワーカーソーシャルワーク援助プロセスを大切にし、意識して業務に取り組むだけでもっともっとプロフェッショナルになるのにな、と思うことが増えました。回復期リハ病棟に勤めるようになってから、そして、ケアマネジャーのスーパービジョンも行うようになってから特にそう感じます。

 ケアマネジャーは、業務としてまず担当CMとして「契約」する、「アセスメント」をする、「担当者会議」を開催する、「(ケア)プランを(計画書通りに)実行」する、最低月1回「モニタリング」をする、というふうに、プロセスを追い、プロセスに沿った書式や記録を残すことが義務付けられています。ソーシャルワーク援助プロセスとしての「アセスメント」とケアマネジャーが業務上使う「アセスメント」という言葉は私の中では完全にはイコールになりません。私はアセスメント面接は1回では終わらない、と思っていますが、介護保険では初回の家庭訪問をアセスメント、と呼ぶような傾向がありますし、最初の家庭訪問がイコールアセスメント、というのもちょっと腑に落ちない時もあります。一番体に沿わなかったのは、あのタイミングでの「担当者会議」でした。担当者会議が援助計画立案のためのカンファレンスという意味なのであればサービスを原案に落とし込んでしまう前に専門職の意見を収集する必要も感じたり、その際に専門職とだけカンファレンスをする、というのもありな気もするし、全員が顔を無理やり合わせることの不自由さも感じたり、このタイミングではないな~と思うこともありました。でも、これがソーシャルワーク援助プロセスを業務化する、ということなんだろうな、とも思いましたし、必ず利用者と家族とともに、ということがここまで徹底されることは医療の世界では少ないので、福祉・介護はすごいな、とも思いました。そして、私の中にあるソーシャルワークのプロセスを深く省察しなおすよい経験でした。

  一方で、回復期リハ病棟のソーシャルワーカーの事例を読むと、私の事例の書かせ方の問題もあるのですが、どうも聞いていても、結局患者さんやご家族の主訴はなにだったのか、そこからソーシャルワーカーはアセスメントとしてニーズをどうアセスメントし、どう患者・家族とそのことを共有し、契約を交わしたのか、が見えてこず、退院先をどうするか、病状説明を受け入れられるかどうか、にスイッチが入ってしまう印象を受ける場合が多くありました。

  ケアマネジャーだったら、利用者と家族の生の言葉を1号様式に必ずそのまま記載します。つまり、主訴を明確に把握しています。そして、主訴と23のアセスメント項目からニーズを利用者の立場から書き直し、その際、バイオ―サイコーソーシャルな視点として決して医療的なニーズを落とさないように厳しく指導されています。書式が決まっていて自由さがなくやりにくさも感じますが、プロセスが業務化されるというのはこういうことなんだな、と思いました。ケアマネジャーたちが、ドクターを含めた多職種に対して、「我々の仕事は、アセスメントをし、ニーズに沿ってケアプランを立て、実施をし、モニタリングすることです」と堂々と説明し、多職種がそのプロセスをケアマネジャーの専門性として受け入れているのを見ると、ソーシャルワーカーももっと堂々とケアマネジャーと同様の援助プロセスを専門性として公言してくればよかったのに、と残念に思ったものです。もちろん、ケアマネジャーはこの流れ作業になりやすいプロセスに命を吹き込む努力が求められるので、ケアマネジャーも大変ですが。ある病院のソーシャルワーカーがケアマネジャーになり、業務の順番が決められている不自由さを感じながら、退職するまでとうとうケアマネジメントプロセスにはなじめなかった、と話してくれたことや、いろいろな思いの結果、ケアプランに「ケアマネジャーとの面接」を書くようにした、と聞いて、かっこいいな、と思ったことをよく覚えています。

 ソーシャルワーカーに話を戻すと、回復期リハ病棟のソーシャルワーカーは、「リハ病院へ入院してきて、家庭復帰を促進される患者」としてクライエントに会い、回復期リハ病棟のプロセスに沿って、医療チームがソーシャルワーカーに求める役割を果たそうとする意識が強くならざるを得ない状況にいるように思います。

 しかし、例えば入退院支援加算のプロセス。制度にしばられることにマイナスイメージを持っているソーシャルワーカーが多いように感じますが(気のせいかもしれませんね)、問題発見のために7つのスクリーニング項目、これはすなわち退院もしくは生活の場に戻る際のソーシャルハイリスク項目と読み替えることができるわけですが、この項目に沿って自らかかわるクライエントを発見し、できるだけ早く(つまり7日以内)にインテーク(アセスメント)面接をし、その面接ではソーシャルワーカーの仕事をわかりやすく説明し、アセスメントを行い、その結果、あなたはこういう主訴があってそれはこういうニーズということになると私の専門の立場からは思うのですが、どうですか?そうであればこのような形で援助をさせていただけるのですがどうでしょうか?と話し合い、書面(退院支援計画書)にて契約し、実際にその書面(援助計画)に沿って援助をする、という、すばらしくソーシャルワーク援助プロセスになっている、ということをもっとプラスにとらえてもいいのではないか、とも思います。書面に抵抗があるソーシャルワーカーもいるようですが(これも気のせいかもしれませんが)、ケアマネジメント理論では、契約は書面で、が推奨されています。書面に書く内容が表面的で嫌だ、と思うのは理解できますが、そう思うのなら、書面の内容は自分で深めて書くことができるし、7日以内に書面の作成に着手さえすれば、そのあと何回もアセスメント面接をしてから契約を交わせるあたり、ケアマネジャーよりも自由度が高いとも思います。7つの項目も、それで十分でなければその他に、加えることもやろうと思えばできるでしょう。退院援助だけの書面が嫌であれば、それ以外の援助項目も書いてしまえばいいと思ったりします。

 入退院支援にばかり重きが置かれる実態については私もあ~あ、と思っていますので、上記はちょっときれいごとかもしれないです。でも、自分の実践を時々振り返ったときに、まず職域の自己紹介をどうしたか、クライエントの主訴(今相談したいことはありますか?)はなんだったか、その主訴の奥にあるニーズが何か、ニーズを言語化し共有したか、クライエントが「そうそう、そのとおりです!」とか「なるほど、今後そういうことをしていくことになるんですね」とかおっしゃってくださったら契約(こういうふうにお手伝いしていくことができますがそれでいいですか?とか)したか、契約した結果クライエントとソーシャルワーカーがともに何に取り組もうとするのか、が明確になったか、クライエントに次にいつ、どのタイミングで会うのかも援助計画として言葉に出して伝えたか、その契約通りに物事が進まなかったら、援助計画遂行がうまくいっていない、とかモニタリングという意味でひっかけたか、ひっかけた後援助計画の見直しまたはあらためてクライエントとアセスメント面接をし直したかカンファレンスで自分が報告している内容を通しで振り返ってみた時に援助の流れがちゃんと見えるか/意外に場当たり的に動いていたりしないか・・・・・・・。援助にはプロセスがあります。プロセスをもっと意識すると業務が整う、と心から思っています。

<span style="font-size: 80%">※ブログに登場する個人の状況や場面は、実名を使わせていただいた方以外は複数の状況を組み合わせたもので、どなたかを特定するものではありません。ご了承ください。</span>

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2020.11.15 問題の発見と「驚きまなこ」について

過去のブログで、私は自分を「月タイプ」または「猿(のものまね)」タイプ、とお伝えしましたが、ソーシャルワーカーの特異性のひとつに、生活課題を抱えている人を「発見」していく力が求められていることから、「月タイプ」はソーシャルワーカーらしく活動するという点では少々苦労していきた、と思います。

そんな「月」タイプが、発見の能力を高めるために役に立つだろうと思い、私が実践してきたことは、「驚きまなこ」をもつ、ということです。

「驚きまなこ」については、奥川幸子さんがよく話していました。

私は勉強不足で原著を読んでいませんが、荒又宏著「日本妖怪巡礼団」(集英社1989)にでてくる「都市ウォッチングの手法・4つの目玉」にでてくる<透視目玉><観察目玉><驚き目玉><分析目玉>の中の<驚き目玉>のことです。

詳しくは、原著を読むとよいと思いますが、奥川幸子著「未知との遭遇」三輪書店1997の付録P259-264に臨床例に引き寄せて書いてありますのでつまみ読みしていただくのもよいかと思います。

荒又宏さんはきっと変わり果てているであろうかつて妖怪が出没したはずの場所(!)を発見するために、この4つの目玉で東京の名所を巡った、ということです。そして奥川さんは、この4つの目玉こそ、私たち人を援助することを生業としているものに必要な目玉ではないか!と、妖怪巡礼とソーシャルワークがぴったり重なった!というのです。

荒又さんがおっしゃる4つの目玉は以下の通りです。

 1.過去へと向けた<透視目玉>

 2.調べる目、博物学する目<観察目玉>

 3.ひたすら驚き、感動すること<驚き目玉>

 4.放っておけば曇るに決まっている他の3つの目玉に、ときどき<カツ>を

   いれる役割を果たす<分析目玉>

この4つの目玉の中で、過去にさかのぼってその人と生活とその交互作用を紐解く目玉や、そのことについていろいろ調べたり観察する目玉、そして自分自身を内省、省察したり、研修を受けたりしてハッとしていくこと、には自分なりにできるなあ、とおもいましたが、私に圧倒的に欠けていたのは、ひたすら驚き、感動する<驚き眼>でした。

 

奥川さんのところでスーパービジョンを受ける準備でお茶を飲んでいたとき、

奥川さんが「このまえ、〇才で〇〇、という状態の方が救急車で運ばれてきたのよ。

びっくりして、そのような年齢で〇〇な方なんて、ほとんどいないし、私、救急病棟までわざわざ会いにいったのよ!」と興奮した声で話してくださいました。

 

詳細は忘れてしまったのですが、

その時、とにかく私がびっくりしたのは、多忙な奥川さんが、そのような情報を耳にして、すぐに現場に足を運ぶその好奇心と行動力です。

 ソーシャルワーカーは生活上の課題を抱えた方の課題解決の援助を行います。過去には、生活保護のような「申請主義」、つまり援助を申し出てきた方に援助をすることこそが重要、という論調もなくはありませんでしたが、現在の日本は違うアプローチを必要としています。

クライエントは相談を(表面的には)希望していないことも多く、しかし援助が必要であり、援助側から援助を申し出ること、特に地域へのアウトリーチの能力発揮が今日のソーシャルワーカーには期待されています。

 私は、若いころ、ロジャーズ派のカウンセリングを少し学んだこともあり、大きな病院の小さな部屋の中でクライエントとひとつの課題に対してじっくり相談するスタイルが一番自分に合っていると感じてきました。同時に、そのスタイルだけでは、ソーシャルワーカーとして限界があることも感じていました。そうはいっても、得意ではないことを頑張ること、はなかなか難しかったし、「太陽」型のソーシャルワーカーアウトリーチも社会活動も得意な方が多いように思えて、羨ましがってばかりいました。

 そんななか、

<驚きまなこ>という言葉と出会い、私もなにかあたらしいことに触れた時、<へえ~!>とまず驚いてみるのはどうか、そうしたら、現場に行ってみよう、という行動が伴うのではないか、と思うようになりました。

ソーシャルワーカーのところに寄せられる多くの依頼、まずAという依頼に取り組むとしたら、驚きまなこをを目に入れて、その現場に行ってみる、そして驚きまなこで眺めてみる、これは、アウトリーチにもつながるし、ナラティブアプローチの「Not Knowing(何も知らないところから始める)」にもつながるし、「非審判的な態度」にもつながるように思いました。リッチモンドが、友愛訪問で、まず相手の家庭を、友人のように友愛訪問したことにもつながるのではないか、とすら思いました。

そして、恩師の松本先生が、「施設に一歩入ったら、臭い!とおもうことは重要なことです。臭いと思ってはいけない、と自分の感じたことを押し込めるのではなく、臭い!と感じたところからソーシャルワークは始まります」と教えてくださっていたのですが、そのことともなんとなくつながってくるように思いました。

ソーシャルワーカーがどうクライエントとつながるか、どうクライエントを「発見」するか、それをどう仕組みにするのか、とても大切なことだと思います。

小さなことですが、リハビリをしている場面を見に行くようにして、そのときも驚きまなこを「かちゃっ」といれるようにするようになりましたし、なにかあったらとりあえず重いおしりを挙げて、まず「現場」に行ってみることを大切だと思うようになりました。さあ、そこからソーシャルワークが始まります。

引用 奥川幸子「未知との遭遇」三輪書店1997

   荒又宏「日本妖怪巡礼団」集英社1989

2020.11.1 奥川幸子さんから学んだ、8つの枠組みと、8-2「専門職としての援助業務遂行のための組み立てと実行」について その2

専門職としての援助業務遂行のための組み立てと実行、を考える際、病院に勤めるソーシャルワーカーだった場合、専門職としてソーシャルワーカーが病院に存在する意味を明確にし、存在を育み、広がりを持たせ、かつ、際立たせることと、いざというときにはその原点に戻って、「私はここで誰に対して何をする人か」を考えることが、クライエントにとってもソーシャルワーカー自身の成熟にとっても大切だと思います。

 

スーパービジョンでは、多くのソーシャルワーカーが、クライエントとの信頼関係が構築しきれていなかった事例を検討してほしい、と取り上げます。なぜならソーシャルワーカー自身の居心地が悪いのです。もちろんクライエントも居心地悪いと思います。ぎくしゃくしています。

 

あえて、信頼関係、ではなく、専門的相談援助関係、と呼びますが、ソーシャルワーカーとクライエントの専門的援助関係の構築は、ソーシャルワーカーが半歩リードして構築するものだ、と思います。クライエントは人生の中で初めてソーシャルワーカーと会うことになった可能性が高い中、初めからソーシャルワーカーが何をしてくれる人か、を理解しているクライエントはほぼいない、と思います。ソーシャルワーカーに対して礼儀正しい方はいらっしゃいますが、礼儀正しくソーシャルワーカーの声掛けや面接に丁寧に真摯に感じよく対応しているクライエントがソーシャルワーカーを相談援助職として理解してくだっているわけではない、と思います。礼儀正しさと専門的援助関係は違うのだろうと思います。

 

ある事例のスーパービジョンを経験しました。スーパービジョンへの事例の提出理由は、援助途中から援助関係が悪化したがどうして悪化したのかを分析したい、というものでした。提出者のSWは、援助関係の悪化の原因は、SWが思っているSWの役割と、クライエントが期待している役割にずれだったのではないか、と考察をされていました。

事例の一部だけ紹介してみます。  

大変難しい状態に置かれている事例でした。お若くして病気となった女性とそのご主人。女性は感情の起伏が激しく、時には死にたくなってしまったり、治療に取り組めなかったりしていました。そんな妻を見ている夫は、なんとか妻が少しでも気持ちよく、平穏な気持ちで過ごせるよう、妻にかかわるスタッフを厳しい目で見ていました(とSWは感じていた)。スタッフの一部は、そんな夫のスタッフへの要求には対応しきれない、と思っている様子もあったようでした。

夫は、ソーシャルワーカーに週1回程度の定期的な面接をしてほしいと要望されました。しかし、経過をたどり、夫とスタッフの間、夫と病院の間、夫とソーシャルワーカーの間にも溝ができていき、夫は周囲の人にソーシャルワーカーに相談してもらちが明かないと言い、ソーシャルワーカーもその溝に気がつきつつ、修正ができないところまできてしまった、と感じていました。

発病前の女性がどんな性格の方だったかはわからない報告でしたが、この病気でご夫妻の人生は一変したことでしょう。この事例では、中盤、夫が立腹しなくなるのですが、立腹しなくなったのは、ソーシャルワーカーに期待することをあきらめたのではないか、関係がすれ違ったのは、援助の後半ではなく、前半なのではないか、と読み取れました。それをなんとかするために、期待を込めて夫から週1回の定期面談を提案してくださったように私には読み取れました。ソーシャルワーカーは、夫が何を期待しているのかがわからないという気持ちに陥っていました。でも、おそらく、夫自身はもっと、どうしたらいいかわからず気持ちが揺れ動いていたことでしょう。そんな時に、ソーシャルワーカーにしてほしいことは、クライエントに自分が何をするか、何ができるか、役割のオリエンテーションだ、と確信しています。オリエンテーションは言葉で行いますが、態度と行動がその言葉に伴わないと、クライエントは不信を抱きます(あたりまえ)。自分は、この病院で、あなたに、何を提供するか、それはあなたにとってこういうメリットがあります、というオリエンテーションを、どれだけ適切なタイミングで、繰り返し、相手に伝わるようにできるか、が重要だと思います。また、1回のオリエンテーションではクライエントは理解できないかと思います。たいてい、生まれて初めての人生を揺るがす経験中なのですから。だからこそ、繰り返し、繰り返し、そのクライエントにとってのソーシャルワーカーの役割、ソーシャルワーカーができること、ポジションを説明し、行動し、態度で示し続ける。1回で理解してもらえないことを嘆かず、地道な種まきをし続けたいものです。きっと、M.リッチモンドも、こんな気持ちを抱きながら、友愛訪問を続けていたのではないかな~。

2020.11.1 奥川幸子さんから学んだ、8つの枠組みと、8-2「専門職としての援助業務遂行のための組み立てと実行」について

このブログを書きたいと思った理由のひとつに、私の恵まれたソーシャルワーカー人生に登場してくださったたくさんの先達の皆さんからの教え、があります。

いろいろな限界のある自分がここまでソーシャルワーカーとしてやってこられたのは、その恵まれた環境に拠っています。教えていただいたことを伝承していくことは私の役割でもあると思い、特に奥川幸子さんには、知識の一部を伝承していくこと、をお許しいただいた、と思っておりまして、ブログにも記載していきたい、と思っています。

奥川幸子さんは、医療ソーシャルワーカーで病院を退職後は対人援助トレーナーとして日本の対人援助職の質の底上げをされた方です。ソーシャルワーカーのみならず、人を援助する仕事をしている職業の「対人援助」の部分は共通している、として奥川理論(と私は勝手に呼んでいます)につくりあげ、対人援助の実践を、ご自分の考えた枠組みで説明し、その伝承をされてきました。奥川幸子さんのスーパービジョンは圧巻で、今何がその問題状況に置かれたクライエントに起きているのか、対人援助職はその人とその問題状況にどう対応していくのか、についてみごとな「絵解き(クライエント理解とか状況把握・・・などの全体像の理解)」をされました。

奥川理論にはいくつか「図」がでてくるのですが、「図2」では、対人援助職が必要とする8つの枠組み、を表しています。そのうち、8つめの枠組みに、8-2「専門職としての援助業務遂行のための組み立てと実行」があります。

これは、いろいろ深い意味があるのだと思いますが、私自身は、自分の専門領域について十分理解し、専門性が発揮できるように場を整えること、と理解しています。

8-2、を考えるとき、いつも二つの事例を思い出します。

ひとつは、2年目のソーシャルワーカー。あるとき、担当患者さまの奥様から、「折り入って相談したいことがあるので時間をとってほしい」とメールをもらいました。日常的にお会いしているのに、わざわざ、普段活用していなメールを使っての折り入ってのメール。私だったら(私は若いころ、怖いもの知らず・自信家のところがあったので)こんなメールが来たら、「よろこんで!」と思うところですが、その2年目のソーシャルワーカーは、「どうしたらいいでしょう・・・・」と相談に来ました。

 

もう一つは、4年目のソーシャルワーカー。入院直後の患者さまの奥様とインテーク面接をしていたら、「本当は発病する直前に、離婚をするつもりだったんです。どうしたらいいのでしょう」と告白されました。どうしたらいいのか・・・ソーシャルワーカー自身もそう思い、どうしたらいいのでしょう?とカンファレンスで相談し、その後、退院先は施設かとか、キーパーソンは誰になるのかとか、様々な課題に頭から突入しつつ、混乱しながら援助を継続していきました・・・

ソーシャルワーカーとして、経験を積んでいけばこのような課題に直面しても、まずは落ち着いて対処をしていかれるようになるわけですが、そのソーシャルワーク的整え方、は、8-2の理解の熟成、だと思います。「自分は」「この病院で」「ソーシャルワーカーとして相談援助をする担当者として」「誰に対して」「何をするのか」。これが場のポジションイングであり、ソーシャルワーカーの土台となるでしょう。

一つ目の事例について。

上司の私は、「なぜ『どうしよう!!?』とおもったのか?」(=ソーシャルワーカーの感情)を尋ねました。すると、そのソーシャルワーカーは、怖い、と感じてしまったそうです。折り入って・・・きっと非常に込み入った相談なのだろう。話を聴いてしまってからもし自分では解決できないことだったらどうしよう、対応するのが怖い、と思った、という返事だったわけです。

私は、あなたはそのクライエントの担当ソーシャルワーカーであるので、折り入って相談がある、というときは、喜んでまず話を聴いてください、と伝えました。それがソーシャルワーカーの業務だからです。その上で、よくよく話を聴いて、万一自分では解決できないことだったら、①所属病院のソーシャルワーカーの業務範囲を超える課題であれば、どこに相談したらいいかを紹介(referal)します、②あなたのソーシャルワーカーとしての力量で対応できない問題であれば、上司である私を含め、病院のソーシャルワーカー部門すべての叡知(!?)を最大集結して部門として対応するし、それでも無理であれば私が責任をとるので、しっかり話を聴いてほしい、と伝えました。

ソーシャルワーカー目線ではなく、クライエント目線で話を聴いてほしいと思います。それがポジショニングの一番の原則だと思っています。

二つ目の事例について

患者さまが発病する直前までは離婚を考えていた奥さまがいま「どうしたらいいのか」と戸惑い、混乱されている状態です。ソーシャルワーカーもどうしよう、と戸惑います。なぜソーシャルワーカーはとまどうのでしょうか?たとえば、「まずい、これから誰をキーパーソンにすればいいんだろう」とか「それじゃあ退院援助が難航しそうだな、ドクターや看護師長に突っつかれそうで重荷だ…」とか「離婚しないでください、なんて言えないし、どうしたらいいか私もわからないよ~」だったり。

どう思ってもOKですが、それはそのソーシャルワーカーの困りごとですので、しっかりと困った自分を自覚した上でいったんわきに置いてほしい。

退院援助が難航しようがドクターの説明を聴く人がいなくなろうが、ともかく目の前にいるクライエントが戸惑い、困っています。主訴は「もともと離婚を考えていた。でも夫が発病してしまった。どうしたらいいのか」です。主訴の裏にある事情をもっともっと良く聴いてみてほしいと思います。できれば、現在→過去→未来の順番で。

この「どうしたらいいですか」という問い、を解決するのはこのクライエント自身、それを支援するのがSWであること思い出します。これがポジショニングです。

  例えばこんなふうに切り出してみながら、もっと良く事情を話してもらうとどうでしょうか。「そうだったのですか。それでも今回は、ここまでキーパーソンとして動いてくださったのですね。でも今後はどうしたらいいかわからないのですね。もう少し事情をお伺いできますか?」・・・そうしたらきっと、話の中で、なぜ離婚を考えたのか、なぜ病院から連絡がきたとき動いてくださったのか、どうしたらいいか、という言葉の裏にあるいくつかの選択肢、どの選択肢も妻からするとすっきりしない、という気持ち、などを話してくださるでしょう。話しながら妻自身の気持ちや状況の整理が進むでしょう。その上で、とっても大変ですが。どうするかは奥様が決めていくことになります。もし、病院がどうしても奥様に果たしていただきたい役割があるならソーシャルワーカーが率直に、中立的に、その役割期待を伝えることもあっていいでしょう。役割期待を中立的に伝えてみたら、妻自身が、自分で、できること、できないことを考えてくださることにもつながる場合があります。結果的に病院が助かるような役割をできる範囲で果たしてくださる可能性もあったりします。ソーシャルワーカーが先に困ってしまうと、妻自身の解決能力が引き出されず、さまざまな可能性も逃げて行ってしまうかもしれません。

私自身が経験した事例をひとつ思い出します。

「実は、自分のではない保険証を使って受診してしまいました」という相談を受けたことがあります。そうしたら思いのほか病状が悪く、入院、手術などをすることになってしまいました。私は自分のではない保険証をつかって治療を受けている人に対して、どうお手伝いをしたらいいか、経験がありませんでした。でも、そのクライエントは、すでに友人の保険証を借りて病院に受診してしまったのです。まずしっかり話を聴くしかありません。いろいろな事情がありましたが、一番その時に重要だったのは、大きな病気の病名の告知を受け、さすがにこのままではまずい、とおもって、悩んだ末に、真実を話して再スタートを切ろう、と決意するまでのその人の苦悩と、よくぞ相談室の扉をたたいてくれましたね、ということです。私は自分ではどうしたらよいかわからなかったので、医療事務の課長という請求に関する病院内の専門家=責任者、に相談する了解を得て、2回目の面接を組みました。

真実からスタートするしかない、と思いました。自分の住所地で新しい保険証を作り、あたりまえの状況に戻して治療にはいっていただくしかないのです。

初診日にさかのぼって保険証が作成できたかどうか、病院が未納をかかえたかどうか、その方が未納の医療費を分割払いにするお手伝いをしたかどうか・・・・今はもう記憶が定かではありまん。でも、今からは、自分の保険証です。うそを抱えていくつらさより、経済的な負担と恥ずかしい思いを公表することを選択したそのクライエントに、よくぞ自己決定しましたね、という尊敬に似た思いを感じたことを覚えています。非審判的態度、受容、個別性・・・ソーシャルワーカークライエント関係を結びました。そのあと、問題を解決していくのはクライエント自身です。

こんなことを書いても、実際の現場はきれいごとではすまないこと、わかっていつつ、それでも、ソーシャルワーカーがクライエントの問題を奮闘して解決するのではなく、日本中の叡知でクライエントが問題を解決することを支えていく、という気持ちで、まず話を聴くことから始められると何かが開けるのではないか、と思います。

<span style="font-size: 80%">※ブログに登場する個人の状況や場面は、実名を使わせていただいた方以外は複数の状況を組み合わせたもので、どなたかを特定するものではありません。ご了承ください。</span>

専門性の公言と「バレーボールの線審」体験について

事例を通したいろいろな発信をする、と公言しておきながら、
その前に、専門性の公言についての私の考えと、私が経験した「バレーボールの線審」体験について、書き留めておこうと思います。

私は、大学時代に、松本栄二先生に「Professionというのは、professする人、という意味である。professというのは、もともと、神に向かって公言する、という意味であるから、専門家というのは、自分はこれをすることが専門です、ということを、神に向かって、クライエントや社会に向かって公言する人のことなのです」と教わりました。
私にとって、とても印象深く、大切にしている教えです。時々自分のソーシャルワーカー対象の講義などでも使わせてもらっています。松本栄二先生には本当に感謝をしています。哲学的にソーシャルワークを教えていただきました。(学生時代は松本栄二先生のおっしゃることが理解できず、このように断片だけを覚えているわけですが・・・)
最近、他の領域の講師が松本栄二先生と同じことを言っているのを聴く機会が増えました。松本栄二先生がオリジナル、と信じています・・・・・?なにしろ、40年ほど前に教えていただいたことだから・・・。クリスチャンでいらっしゃいましたし。

それはさておき、それでは、ソーシャルワーカーとしては、何を公言しているか。
私が新人の頃の患者さま向けのソーシャルワーカーリーフレットには、「こういう時ご相談ください…」とは書いてありますが、「ソーシャルワーカーはこれをします!」と公言している内容はあまり書いてありませんでしたので、実はちょっと不満でした。
26歳くらいの頃、上司にさそっていただいて、アメリカにソーシャルワークを学ぶ旅行兼研修に行く機会に恵まれました。急性期病院やリハビリの病院や施設などの現場のソーシャルワーカーにお話を聴く機会がたくさんあって、とてもとてもすばらしい旅でした。アメリカのオレゴン州の病院のソーシャルワーカーのみなさまは口をそろえて「病院のソーシャルワーカーは、①counselling,②referral,③discharge planningを行っています」と説明してくれました。病院の機能は違えども、患者さまのもつ問題に対して、この3つをソーシャルワークとしてやります、と公言している!感動しました。
日本では、「カウンセリング」という言葉はカウンセラーの行う面接、ととられてしまいますので、これは相談面接、と日本風に訳し、「リファーラル」は専門機関等への紹介、というような意味だと解釈したのですが、関係機関や専門領域のかたがた、院内のいろいろな部門との連携・調整、と受け止めました。そして、病院のソーシャルワーカーとしてまさに毎日行う退院計画(退院援助)、アメリカの病院のソーシャルワーカーの業務の中心はこの3つなんだ・・・・私も同じだな、と当時も思いました。これをちゃんと患者さんやご家族に伝えてからソーシャルワークの契約をしたい!そこで、上司に相談して、ソーシャルワーカーのパンフレットを作り直す際に、こういう相談があるときに、私たちはこの3つをやります、と公言する形でパンフレットを作らせていただくことができました。私の公言のひとつ、です。

さらに、専門性を公言する、ということを考えるときに、なぜかいつも思い出す小学校時代の思い出があります。
球技大会がありました。私は、あるバレーボールの試合の線審を務めていました。そこに、5人ぐらいの女子のグループがやってきて、私が線審している近くに陣取り、「いまのはセーフ」「今のはアウト!」と勝手に大きな声で線審を始めました。俗にいう力の強い女子のいるグループだったこともあり、私は、線審をする気力を削がれ、必要がなくなったと感じ、ちょっと嫌な気持ちになりながら、試合に集中しなくなってしまいました(なんて責任感がない!)
ところが、突然、審判から、「線審、今のボールはどっち?」と質問が飛んできました。あわてて振り返ると、その女子のグループはあんなに騒々しく陣取っていたのにいなくなっていて、私はそのボールの行方を見ていませんでした。線審として失格でした。結局、その試合を観戦していた他の生徒が判断をしてくれましたが、本当に恥ずかしい小学生時代の思い出です。その女子グループがしてくれている線審を、本物の線審として見守っているべきだった・・・・よそ見をしてはいけなかった・・・・チームのみなさんに悪いことをしました。かなり反省しその後、試合終了までとても居心地悪い状態で線審を続けたことを今でも覚えています。
そして考えました。どんなに別の人が来て線審まがいのことをしたとしても、線審は私であり、私は仕事をしなかった。逆に、女子グループは、線審のような声をあげてもそこに責任はなく、その場を去ることは自由でした。

ソーシャルワーカーになってから、この思い出がよく頭に浮かびます。他の職種の方が、ソーシャルワーカーが対応するとよかろう問題に対して、知識が豊富であって患者に対応をしてくださっていたとしても、もし、私がそのクライエントとソーシャルワーカーとしてその問題を解決する、ということを公言したのだとしたら、他の職種は途中でその問題の解決援助から去るかもしれませんが、私は去らない。社会福祉領域のニーズについての対応は他の職種の方がかかわることはもちろんあり(自由)で、責任がある、と考えてかかわっていればそれは尊重し、でも、そのことと私の専門家としての責任は別のこととして私は負っている、と考える。もし任せるのであればちゃんと役割分担を話し合ってから託す。常に自分の専門性は何か、を考え、公言しているか、公言したのなら、そのことは自分の責任領域だと意識していく、こんなことをバレーボールの線審の思い出と共に考え続けてきました。

ちょっとやりすぎちゃったり、自分の首を絞めて苦しいときもあるんですけどね・・・。

ブログ再開のご挨拶と「ポジショニング③」:勤めている職場の期待に応えることについて

3年、間をあけてしまいましたが、匿名に切り替えてブログを再開することにいたしました。
書きかけていた3つ目の「ポジショニングについて③」をここに記したら、今後は、架空の事例を通して、私が考えるソーシャルワークについて、お伝えしていきたい、と思っています。

 唐突ですが、私は、自分のことを、ずっと「月タイプ」と自覚して仕事をしてきました。
もう一つのタイプは「太陽タイプ」です。太陽は自分の力で輝く。月タイプは、太陽の光を受けてはじめて輝く。
 本日の内容は、賛否があるかもしれませんが、私が実践するときに割と悩んだりしてきたことなので、もしかしたら同じことで悩む人もいるかもしれず、思い切って書いてみます。
 私は、病院という組織に守られてずっと仕事をしてきました。そして、私は自分がそれに(守られることに)向いている人種だ、と感じてきました。
 自分で組織を作って自分で切り開くこと、は少々苦手です。だれかがやってきたことをまねながら、改良していくこととか、付加価値を上乗せすること、などは比較的得意なのではないか、と思います。そんな自分を、猿タイプ、とか月タイプだな、と思っています。
 病院で働いていると、ソーシャルワーカーらしくない動きを求められることがあり、反発してきたりもしました。でも、病院という組織があったからこそ、私はソーシャルワーカーとしてたくさんのクライエントにお会いでき、多少でも役に立つ仕事ができた、ということについて、病院及び病院を経営している方々に感謝をしています。
 私が透析施設で、役に立たず、給与をもらうことにも届かない自分と独り相撲を取っていたころ、同年代のソーシャルワーカーが初めてソーシャルワーカーを置く病院に就職しました。その人は、病院の中でかわいがられ、地位をどんどん築いていっているように見えました。その人に、「すごいね~」と感想を述べると、「これまで病院にソーシャルワーカーがいなかったんだから、何人かは、病院としてはどうしたらいいか困っている入院患者さんはいるわけだから、そのような患者さんの転院先を探したりしていると、ああ、ソーシャルワーカーって役に立つな、と思ってもらえたりするんですよ。」と。私からすれば、転院先をさがすことだって大変だと思いましたが、その方のすごいところは、そのことは序の口だと、本番はこれからだ、というのです。勤めている以上、その組織の期待には応える。でもそれだけでは終わらない。期待に応えて信頼を得て、そこではじめて、本当のソーシャルワークを展開していくんだ、ということだろうと思いました。やっぱりすごい人でした。
 ちなみに、奥川さんもすごい方です。自分が行っている仕事について、かならず上司であるソーシャルワーカーではない、他職種である事務長さんに報告し、了解を得ながらやっている、とおっしゃっていました。 そして、いつも自分の上司はこういうところがすごい人なのよ、と、よいところを私にも話してくださっていました。
私は、「奥川さんはうらやましいな、素晴らしいチームに恵まれているんだな」と最初は思っていました。でも、すこしずつ、そうではないのではないか、と気が付くようになりました。奥川さんは、周囲の多職種の良いところを見出し、良い人にしていくんだろう、ということに。私は、組織や上司への報告・相談はあまり得意ではなく、上手でもありません。でも、組織で働き、さまざまなハード面の提供を受け、そこでまっとうなソーシャルワークをしたいと思ったら、はじめは組織の役に立ち、信頼を得て、そこから本当にやることを展開していく、というのも、人と環境とその交互作用だな・・・・と考えられるようにだけはなりました。でも、ちょっと不得手なので、同僚や部下の協力を非常に必要としています。
 チームに私の意見が受け入れられずに不満を持つ私は、奥川さんに、「ソーシャルワーカーの意見がいつもチームの方針にうけいれられるわけではない、ということはわかっているよね!?」とSVを受けたことがあり、はっとさせられたこともあります。いつも自分が一番正しい、というのは正しくない。これは、かつて、「読むクスリ」という上前淳一郎さんの本でも、相手に逃げ道を作らないような正しすぎる正しさは正しくなくないのだ、という主旨の文章を読んで、ずっと胸に刻んで生きてきています。どんなないようだったかというと、ある正義感あふれる社員が、上司から、円を見せられ、君の正しさはこの円のように切れ目がない、それでは人は動かない。どこかに切れ目を入れられるようになりなさい(目の検診のCのように)、と声をかけられた、という話です。
たまたま同じころ、夫によいことだと思って正しさをおしつけつづけたら、その押し付けた正しさが夫からの暴力で返ってきて、夫は家を出ていった、という漫画を読みました。この二つの読み物から、私は、正しいって何か、正しいって難しい、と思うようになりました。人間の営みの中では、いかにグレーを受け入れるか、も大事なのかな?など・・・・。
 そんなことから、医療の場で働くソーシャルワーカーは、クライエントや地域に対してソーシャルワークをする、ということと同時に、職場を社会福祉的な環境にしていく、という職務もあるんだろうな、と思ってやっています。
 私は、月タイプであったために、自分から切り開くことはできませんが、私を照らして私の良さを引き出してくださる周囲に感謝しながら、
グレーにも多少は耐えながらやってこれて今がある、と思います。