取出涼子 医療ソーシャルワーカーdiary

取出涼子です。私が先輩や先達から、そして部下や後輩から教わってきたソーシャルワークに関することを発信します。

2021.6.14 情報を分析・統合し、「ノーマティブニーズ」と「フェルトニーズ」とそのギャップのアセスメントすること。

「評価」「アセスメント」という言葉がソーシャルワーカーにとって当たり前になりました。でも私は、ずいぶんと長いこと「評価」「アセスメント」といったときに、ソーシャルワーカーとして自分が実際に何をしているのか、については疑問を持ち、なんとか具体的にアセスメント、という行為を手に入れたい、と模索しました。

 

例えば、医師は、問診をする。触診をする。検査をする。その結果、この病気ではないか、ということを、情報と情報をつなぎ合わせ、臨床症状に合わない病名を省いていきながら「診断」する。テレビ番組の「総合診療医ドクターG」は、診断するためのカンファレンス、そこで交換される様々な診断に対する意見、診断名が確定されていくプロセスが見えて、優秀な総合診療医の臨床能力を素人である我々にも「見せる」ことに成功にした興味深い番組でした。

例えば理学療法士。訓練プラン立案のために、主訴やこれまでの状況をヒヤリングしたうえで、定量評価を行い、その評価から、予後を予測し、カンファレンスで伝え、議論し、医師の指示のもと、訓練量と訓練内容を決めて、予後予測達成に向けて訓練を開始する。評価をせずにかかわる理学療法士はいない。

 

それでは、ソーシャルワーカーは。どのような情報を手に入れるか。その情報とじょうほうを つなぎ合わせて、何をアセスメントするのか。具体的な援助を始める前に相談援助のプロフェッショナルとして必要不可欠な行為。

 

あるとき、介護保険事業所の相談員が「アセスメントをしている」というので、そのアセスメントシートを興味深く見てみたとき、そこには、基本情報が載っていました。たしかに、評価として、その職種が専門的支援を行うための情報が評価、であります。

なので、どのような基本情報を得るか、は、アセスメントと直結しているな、と考えました。ケアマネジャーも「アセスメント面接」をする、という行為の際、23項目のアセスメント項目、つまりは情報、を入手します。その情報を入手することイコールアセスメントといってもいいのですが、そこに専門家としての判断が入り、「ノーマティブニーズ」を「アセスメントする」こと。そして、クライエントの主訴とその周辺情報から「フェルトニーズ」をアセスメントすること。その間のギャップ。この3つの見積もりがソーシャルワーカーとしてのアセスメントなのではないか、と私は今考えています。

2021.2.15 脱「根掘り葉掘り」:基本情報を引き出す「ストーリーで聴く」姿勢

基本情報は、基本のキなのに、実に難しい、ということの第2弾です。

コツは、「根掘り葉掘り聞かない」ことなのだろうと思いますがどうすれば「根掘り葉掘り」ではない聴き方ができるのか。

奥川幸子さんは、情報は、聞くのではなく、引き出すんだ、とよくおっしゃっていました。はじめはその意味があまりよくわかりませんでした。何回も奥川さんのレクチャーを聴き、私のたどり着いた結論は、「相手がその情報を私に話したくなるような面接をする」ということなんだな、という解釈です。これが「ストーリーで聴く」ことなのだろう、とも思っています。

私はカウンセリングのトレーニングに通ったことがあります。ロールプレイを中心としたロジャース派のカウンセリングトレーニングでした。そこでは、相手が話したことをそのまま受け取り、できるだけ相手の感情についての質問を投げかけて、その結果、相手の知(考え・話したこと)・情(それに対する感情)・意(意志)を理解する、ということを繰り返し繰り返し練習しました。私はある時ロールプレイでカウンセラー役として指示されたとおりにできるだけ相手の感情を確認するための質問を繰り返しました。普段の会話とは違い、カウンセラー役としてはぎこちない会話をしている感じでしたが、ロールプレイの相談者役の方が、「話しているうちに気持ちがよくなって、だんだん、もっともっと話したくなった」という感想を聞き、ロジャース派ってすごいな、と思ったものです。

そんな経験を含めて、ストーリーで聴く、ということを考えると、人生のストーリーは出来事の連続、その出来事についてのクライエントの考えや感情を聴きながら、出来事に沿って基本情報を、状況として聞いていく、ということができる、と思います。逆の聴き方は、情報を一つ一つ、箇条書きで項目で聞いていく方法です。

新人のうちは、なかなかストーリーで聴くことができず、その場合は、あえて、「皆さんに伺っていることですのでお伺いします」と仕切り直して、堂々と箇条書きで聴くことはありだ、と思っています。でもそれですとどうしても根掘り葉掘り感はぬぐえません。

こちらが聞きたいことを聞いているスタイルだからです。

 でも、ストーリーで聴くということは、まず、相手の体験を話し始めてもらい、その状況が相手にとってどうだったのか、相手の側から見たストーリーを映像的に理解するために、質問を重ねます。具体的には、事実、それに対するクライエントの考え(知)、感情(情)、その事実に対してクライエントの意思(意)を知ること、または、クライエントの考え(知)、感情(情)、その事実に対してクライエントの意思(意)を形作ったエピソードは何だったのか、その関係を知ること、などでしょうか。

 私は病院のソーシャルワーカー歴が長いので、特に急性期病院にいたころには、主訴を確認したあと、病歴を丁寧に聴くようにしていました。病歴はまさにクライエントのストーリーでした。クライエントのほとんどが病気になったことが影響してソーシャルワーカーと会うことになっていましたので大変自然な話題でしたし、いろいろな感情を理解することにもつながりました。転院先の紹介目的の相談でも、医療費の支払いの相談でも、情報だけが欲しいクライエントでない限りはできるだけ病気の経過を教えてください、と伝えて聴きました。そのストーリーの中で、同居の家族を聴く、家族の年齢を聴く、何か大きなイベントがあったり、家族の関係が見えてくるエピソードがあったら、それを補強する質問をする・・・基本情報の枠組みが体に入っていれば、基本情報の質問をはさむことでストーリーは補足されていきました。オープンクエスチョンをすることで、クライエントが話したいように家族のこと、経済的事情、仕事のこと、などを話せる場合もあり、私は、情報を聞いているというよりも、その人のこの病気になってからの歩んできた道のりをなるほど、そういうことだったのか、と理解できたと思うことが多くありました。

 そしてもう一つ、とてもとても大事なことでときどきソーシャルワーカーが忘れてしまうこと。情報収集は、ソーシャルワーカーのためにしているのではなく、クライエントのためにしている、ということ。情報は、ソーシャルワークアセスメントのためにソーシャルワーカーももちろん必要としているのですが、同時に、渦中にいるクライエントが自分がどういう状況に置かれていて、自分は何に困っていて、どうしていきたいと思っているのか、を自ら理解する時間でもあるのです。ソーシャルワーカーが自分のために情報を聴くことだけに集中しては、このプロセスはなかなかともに歩めません。クライエントも自分の状況を見つめなおし、はっとし、そうか、自分はこういう風にしていきたいんだ、と解決方法が頭に浮かぶ、そんなクライエントが主語の面接が、ソーシャルワーカーが話を引き出す面接なのではないか、と思うのです。

2021.2.14 大事な情報収集:基本情報

   家族構成や家族の年齢、家族が働いているかどうか、どのような仕事についているのか、同居人は誰か、など、基本情報と呼ばれているものを聴くことは意外に苦手なソーシャルワーカーもいるのではないかと思います。私も苦手でした。相手の個人情報を根掘り葉掘り聞いているような居心地悪さを感じるからなのでしょうか。

 私たちが基本情報を聞くのは、それを聞かないとソーシャルワークアセスメントができないからです。それが伝わっていないと「なんでそんなことまで聞くんだ」と思うクライエントが発生します。だから、この情報はなんのために聞くのか理由を説明できるようにしておこう、ということは昔から言われていました。また、ベテランソーシャルワーカーは問題解決に必要な「最小限の情報」で「最大のアセスメント」をする、と聞いたこともあります。

ポイントは「根掘り葉掘り聞かない」ことなのだろうと思います。それではどうすれば「根掘り葉掘り」ではない聴き方ができるのでしょうか。基本情報は、基本のキなのに、実に難しいですね。

ケアマネジャーのアセスメントや、回復期・慢性期病棟の入院時アセスメント面接で、一定の枠組みで情報を聞くことが業務として決められている場合、つい、根掘り葉掘りになってしまい、難しさを感じることが多いかなと思います。

では、いつものように、クライエントの立場になって、目の前のソーシャルワーカーが聞きにくそうに、たどたどしく、遠回しに探ってくるような質問をしてくる状態を想像してみましょう。そうすると私には、むしろプロフェッショナルとして堂々と「必要な情報として皆さんにお伺いしています」と伝えてしっかりと項目を聞いた方がご家族も探られている感じを受けず、話しやすいのではないか、と感じられてなりません。家族は、話さなければならないのなら話すけど、どこまで話していいのか、目の前のソーシャルワーカーはどこまでの話を聞く必要がある、と思っているのか、ほとんどの場合が初めての体験でわからないのだと思います。あなたの場合はどう感じますか?

ちなみに、私は自分の家族のケアマネジャーなどに、職業を聞かれているような聞かれていないような遠回しな質問をされることがあります。私自身は別にソーシャルワーカーをしていることを隠したいわけでもなく、でもきちんと聞かれていないならわざわざ話さなくてもいいかな?と娘・嫁の立場では感じます。なので私側は今その必要が無いし、ケアマネジャーに気を使わせるかもしれないと思ったり、気を遣えと言っているような気になったりして、ここは「生のままの自分」*註の気持ちを優先し、とりあえず職業を伝えることは遠慮しています(笑)。

担当のケアマネジャーは、いろいろな理由で私の職業を聞きたいはずだろうと思います。お休みがいつなのか、とか、どの程度忙しい仕事なのか、とか、どの地域で働いていてどれくらい急変時に対応できるのか、とか、どの程度介護保険について知識があるのか、とか、介護に対する価値観とか・・・・。私は、職業を聞かれることについてはノンボランタリー(中立的。積極的に話したいわけではなく、かといって話すことに拒否的でもない)です。質問されたら話すでしょう。でも、聞きにくそうに探るように聞かれると、重大な秘密を伝えるみたいな気持ちになりそうです。すっきりと、「ご家族のご職業を、お伺いしていいですか?」となどといっていただければ、私の場合は、ですが、そうか、と思ってすんなりと話すと思います。さらにそのあと、「いざという時にどの程度お忙しいのかとか、介護保険などにどの程度詳しいのか、などがわかると相談に乗りやすいのでお伺いできてよかったです」「ところで、どの程度お忙しいのですか?」など、職業を伝えたことが必要で、役に立つことだったことがわかる会話が続くと、なおさら、伝えてよかった、と思うと思います。私は家族のケアマネジャーを信頼していますので、おそらく、職業のことを聴いてもらいその前提で付き合ったほうが相談援助関係は深まるとは思います。まあ、今はケアマネジャーもそこまで必要ではないのでしょう。

しっかりと質問してもらってしまったほうが答えやすい場合もある。もちろん、踏み込まれたくない人もいる。話したくない、と言われたときに、びっくりしないように心の準備(予備的共感)をしておけばいいのだと思います。

そしてもし、明らかに相手が話したくないらしいことをアセスメントのために聴く必要が高まったら、そのときは姿勢を正し、こういうふうに相談にのっていきたい、そのためにあなたのこのことを質問させてほしい、ということを、その面接の状況に合わせてしっかりと伝えることになるでしょう。

基本情報は、援助関係の序盤に聞きそびれると、後から聴くことのハードルが上がることがあります。できるだけ恥ずかしがらずおもねらず、基本情報だと確信しているものはインテーク面接で聴くトレーニング、拒否されたときに落ち着いて対応するトレーニングをするのがプロフェッショナルかな、と思います。

*註 奥川幸子氏の対人援助の構図(図1 「身体知と言語」より)では、ソーシャルワーカーには「生のままの私」と「職業的な私」が同居しており、クライエントからの働きかけを、「生のままの自分」ではなく「職業的な私」の知的・分析的・援助的身体フィルターを通して適切な方法でクライエントに働きかける、としています。どんなにベテランのソーシャルワーカーでも家族のことではひとりの人間。家族のケアマネジャーには、思う存分・安心して「生のままの自分」で対応させていただいています。私よりもはるかに若いケアマネジャーに泣き言を聞いてもらったり、慰められたリしています。本当に感謝しています。

2021.1.16 情報収集と予備的共感

   情報収集をする際、「予備的共感」と「映像的理解(またはストーリーで聴く)」の2つが私のキーワードです。

 予備的共感とは、クライエントに会う前に、事前情報から、「こんな人で、こんな生活を送ってきて、この病気になり、こういうことを医師から説明をされた。この家族構成なら、患者さんはこういうことを考え、こういう気持ちでいるのではないだろうか・・・・」など、患者さんの状況を想像して、会う前に患者さんに波長を合わせる練習、のようなものです。クライエントとの面接の前の心の準備体操、という説明を受けたこともあります。

 そして、お話を聴き始めるのですが、そのときは、その方の生活や気持ちのありようが、まるで映画を見ているように、小説を読むように、映像的に、もしくはストーリーで理解できるように質問を重ねていく、というのが奥川幸子さん(註)から学んだ言葉です。

私は小説を読むことが好きで、小説の登場人物にものすごく感情移入をしてしまう傾向があります。そして、自分がこの登場人物だったらこう感じただろう、こう行動しただろう、わたしだったらここでどうしただろう?など、想像を巡らせたりしてしまいます。そんなとき、小説家はなぜこんなに人の気持ちがわかるのだろう?ソーシャルワーカーをしているわけでもないのに…と思うことがよくありました。また、映画をみると、多くの登場人物のキャラクター、考え方、人間模様、悩み、幸せの感じ方、などが本当によく理解できますよね、たったの1時間半で。これって人と環境とその交互作用を的確に表現し映像化しているんだろうと思います。その人を理解すると、何か出来事が起きた時に、その人ならこういう気持ちを持ち、こういう判断をし、こういう行動をとるのではないかな?ということのあたりがついてくるようにも思います。

 それをするために、私が一人でトレーニングしていたことは、エンプティチェアでの練習です。私はソーシャルワーカーとしてクライエントに向き合う時に、クライエントが座る椅子が目の前にあります。その椅子に、クライエントになりきって座ってみる、クライエントになりきって一人ロールプレイをしてみる。クライエントである私の前には、私、というソーシャルワーカーがいる。どういう気持ちで私を見るかな?ということを、事前情報から、いろいろ思いを巡らせてみる。その時に、どういう言葉をかけられたら、気持ちが開くだろうか?クライエントという当事者になってみて、考えてみます。

 次に、鏡の前で、今度はソーシャルワーカーとして、質問や声かけをしてみます。

その時の私の表情と言い回しを、クライエントとしてみたときにどう聞こえるか、どう受け止めるか、クライエントとして鏡に映る私を見ます。

 これだ!というフレーズがぱっと頭に浮かぶことも時にはありました。「神が下りてきた!」と思ったときは、メモをして、そのフレーズを実際の面接で使う準備をすることもありました。

 本当は相手があったほうがいいのでしょうが、一人でもロールプレイはできました。やっているときは、自分がちょっと気持ち悪い、と思うこともありましたが、私の面接練習秘話です。面接はロールプレイで上達する、というのが私の信念です。

(註)奥川幸子著「身体知と言語」中央法規出版 P321「ストーリーで聴く」

amzn.to

「私のソーシャルワークを変えた一冊」シリーズ3に、渡部律子先生の「高齢者援助における相談面接の理論と実際」を取り上げました!

12月27日に一度公開しましたが、本日再公開いたしました。

渡部律子先生の「高齢者援助における相談面接の理論と実際」をお勧めする動画です。

ぜひぜひご視聴ください。

youtu.be

本の詳細はこちらです

高齢者援助における相談面接の理論と実際第2版 | 渡部 律子 |本 | 通販 | Amazon

再掲:「私のソーシャルワークを変えた一冊 2」を配信しました。

「私のソーシャルワークを変えた一冊」シリーズのNo.2を録画しました。

あらたに購入は難しい絶版書ですが、「新しい障害者」というくも膜下出血後のご家族の闘病記についての内容になっています。

 

ぜひ視聴してみてください。

 

www.youtube.com

当初リンクを張っていたamazonは、中古本がなくなったようで、リンクが張れなくなりましたので、国立図書館には置いてあるようです。

iss.ndl.go.jp

情報収集について

クライエントと出会って、具体的にアセスメント面接に入り、いろいろな情報収集をする段階について考えていることを書きたいと思います。

 まず、情報収集は目的ではなくアセスメントするための手段であること。

新人の頃は、ソーシャルワーカーとしてクライエントにもチームメンバーにも認識していただくことが難しいので、とっても苦労し、その場にいるだけでも緊張していると思います。だから、セットになった質問をひとつずつ聞いていく、というやり方はトレーニングとしては有効だと私は思っています。むしろなにも手元資料がなくクライエントに会うことは、素振りをしていないテニスプレーヤーのように、失敗が前提となってしまうと思います。

 急性期病院ソーシャルワーカーは、たとえば経済的な問題の相談で依頼したいとか、転院援助を依頼したいとか、具体的な「依頼」からスタートすることが多いので、どちらかといえば援助プロセスがわかりやすく、情報収集もその「依頼」の周辺から始めていけばいいので、組み立てはしやすいように思います。

 たとえば、「医療費が心配と言っている」という依頼が病棟ドクター・看護師から来たとします。

 私のお勧めは、この段階での「予備的共感」の実践です。

病院では、この依頼内容とともに、カルテを事前に読むことが可能です。

性別、年齢、病名、病歴、予定入院か緊急入院か、治療方針、ドクター説明の内容、どのスタッフがどうやってここの依頼が必要と判断したのか、家族歴、など、基本的な情報はカルテから入手し、想像してみます。相談に来る立場の人の気持ちになって、入院前どんな生活をしていて(ここはわからないことが多いがいろいろ物語のように想像してみるとよい)、入院してからこの説明を聞いてとき、どう感じた可能性があるかな?依頼内容以外にどんな気持ちで、どんなことを不安に思っている可能性があるかな?今後のことはどう思っている可能性があるのかな?家族同士で相談はしているのかな?などなど、ストーリーで、いろいろなバリエーションの可能性で漂ってみます。そして、そうだとすれば知りたいことについて質問リストを作成してみます。

私は、バイオ・サイコ・ソーシャルモデルを、現在・過去・未来のマトリックスで質問を考えることを推奨していますので、今度はその質問を、現在のバイオ、現在のソーシャル、現在のサイコ、そこから過去のバイオ、ソーシャル、サイコ、そして未来のソーシャル、サイコ、といった感じで並べなおしてみて、その質問があちこちに飛んでいないか、逆に、自分が知りたいことが網羅されているか、を確認します。

特に新人のうちは、ここでスーパービジョンを受けて、業務上必要な質問、ベテランだったらこの段階で想定できる領域の質問例などを聞いておくと、さらにいいかもしれません。

そのリストはお守りとして見えやすく書き直し、アセスメント面接では持っていくようにします。緊張しきった面接で、どうしたらいいかわからなくなったら、そのリストを見ながら質問していきます。

何故私がバイオからスタートするか、ですが、それは、「医療」の場のソーシャルワーカーだから、です。患者さん・ご家族は治療目的で入院しています。それなのに突然社会的な領域の質問をするとびっくりしてしまうかも知れません。もちろん、相談内容や相手によっては違う順番となると思うので、あくまでも原則、です。原則、ということは、応用、があるわけで、応用が難しいわけですが、失敗を含め積み重ねていくと、その応用が効く体になっていくと思います。

 

情報収集では言語的なことだけではなく、非言語もとても大切です。

私が非言語の情報収集について教わったひとつのエピソードがあります。

ある失明した方が一人暮らしをしていて要支援状態となり、家族が心配してサービスの利用を検討してほしいとの依頼があり家庭訪問をした地域の援助者のお話です。

その援助者は、訪問し、サービスの説明をし、本人が十分サービスについて理解をしたのに、後からサービスを断ってきた、家族はとても心配してサービスを何とか入れてほしいと思う、でも本人は受け入れない、自分の面接の何かが悪かったのではないか、と悩んでいました。

事例を紐解いていくと、

援助者が家族からの依頼を受けて一人暮らしのその方に電話を入れた時、とても気持ちよく家庭訪問を受け入れてくれたので、全く問題を感じずに家庭訪問。当日は家族も同席するとのことで、仲の良い家族だ、とも感じたとのことでした。

この事例のスーパーバイザーが訪問時の状況を質問すると、家の様子、ご本人の様子をとてもよく観察し、一語一句おっしゃったことを復元でき、その情報収集能力は100点だった、ということでした。

具体的には、

呼び鈴をおして迎えてくれたのは誰だったか→玄関の呼び鈴を押すと、かなり間があって、玄関を開けたのはご本人だったそうです。

家の様子はどうだったか→お部屋はきれいに整っていたそうです。

その他→居間に通され、ご本人が入れてくれたお茶を飲んだそうです。とてもおいしく入っていたそうです。

もう少しいろいろあったと思いますが、ようは、これらの情報を観察、という形で収集はできていた、ということです。言葉のやり取り以外の、こういった観察で入手できる非言語の情報。それをどうアセスメントするか、奥川理論で言うところの基本情報から、この失明したご本人の個別性に合わせた奥行情報をどう入手するか、が、スーパービジョンにおけるこの援助者の課題、となりました。

別の事例であれば、玄関を誰が開けたかは、もしかしたらあまり重要な情報ではないかもしれませんが、失明したこの方の場合は重要な情報となります。この方は、時間はかかっても、家族がその場にいても、自宅の扉は自分で開けて、客を招き入れるのです。この時だけでしょうか?いつもでしょうか?いつもだとしたらそれはどういう意味を持つでしょうか?

お茶も自分で、おいしく入れるのです。失明された方がお茶を入れるノウハウがあります。自宅もきれいにかたずいていました。失明している方がお部屋をきれいに保つこともノウハウがあります。この方はそういうノウハウをきちんとトレーニングされ、身に着けていらっしゃる方だ、ということが想像できます。いつ、どのようにトレーニングを受けたのでしょう。いまも生活をそのノウハウを活かして継続しているのではないでしょうか。

それらの情報を(もう少しあったと思いますが)組み合わせていくと、ご本人は全身全霊で、「私は今の生活を自分でマネジメントできています」というメッセージを送ってきていた、ということがわかったのです。

しかし、とても礼儀正しいかたでした。せっかく仲の良い家族が自分のことを心配してくれて、また、援助者が家庭まで来てくれて、丁寧にサービスの説明をしてくれたのです。そのことに感謝し、その場ではとりあえず話を丁寧に聞いたのです。でもだからといって、自分の生活を変えることをこのタイミングで受け入れるかどうか、は明言されていなかったのです。

そして、そのあとよく考え、サービスを断ったのです。ここまでをスーパーバイザーが紐解き、ご本人の気持ちが手に取るようにわかるだけの情報を入手出来ていたから、スーパーバイザーは「情報は収集できている、100点」、といったのです。この援助者の課題はその次のステップ、情報と情報を組み合わせて、アセスメントする、というときに、情報の持つ意味、奥行き、についてでした。

つまり、ご本人がサービスを断った、というのもあくまで「主訴」もしくはフェルトニーズです。フェルトニーズとノーマティブニーズは違います。むしろここからがアセスメントの本番の始まり、ともいえます。

※ブログに登場する個人の状況や場面は、実名を使わせていただいた方以外は複数の状況を組み合わせたもので、どなたかを特定するものではありません。ご了承ください。